平家物語 板坂耀子

▼前半のあらすじとして三つの反乱(鹿ケ谷・高倉宮・頼朝挙兵)を挙げ、後半のあらすじとして三つの戦い(一ノ谷・屋島・壇ノ浦)を挙げて解説する。鹿ケ谷では弱く愚かな者が惨く殺されるが、成親についてはそもそも昇進を望むことが間違いで、西光については天台座主を流すことなど非道なことがあった、として読者を因果応報的に納得させる。高倉宮では、頼政や競・明秀などのプロフェッショナルな明るさが描かれ、悪いのは相少納言の役割、ということになる。また、基本的に積極策・強攻策を是としていて、富士川の合戦の後、強攻策を採らずに特に悪い結果とならなかった頼朝は描くにくかったのでは、としている。▼感心したのは「王の帰還」の一節で、悪王を倒すために共に戦い、新王に就けた人物が悪くなったとき、前のようには戦えない、という心理の紹介と、文覚はそれも意識していた存在(頼朝が悪くなる)では、という点。▼第Ⅱ部の人物論では、近年評判の悪い重盛を擁護する形で、清盛への「小教訓」「教訓」など外交的で強かであり(成親の謀叛を否定せず、法皇への出兵については、ため息だけで清盛の方から意見を聞かせる等)、またこうした優等生的人物がいることで、たった一度の過ち(ランスロット鳴神上人等)が感動的効果を生むとしている。またリーダー・本命・アナ馬・対抗という分類で、ほとんどの物語が成り立っているとし、本命の魅力を主張する。▼言葉での闘いについての目配りもなかなかだ。清盛に対する西光・宗盛に対する信連・頼朝に対する重衡は、非を認めず相手との関係を相対化し、たまたま(相手の実力ではなく)敗れただけの自分の命を取ろうとする非道さを主張するわけで、「自分の命をとれ」という主張は、より大きな存在である運命への屈服を選ぶことで相手への屈服を拒否しているのだ。勝者の理想である敗者が反省し指導者への感謝と悔恨に満ちて処刑される(オーウェル「1984年」)ということを拒否している。