大変読みにくい(論文だから当たり前か)本ではあるが、章ごとにまとめがあるのがありがたい。
白河院政や
鳥羽院政では
天皇や関白が合議に参加するのは、一定の年代に達してからで(これは公卿の議定に参加するのが、かつての全員から家格の形成に伴い総数が増えたことで、識見ある者に限られるようになったこととも通じるか)、
後白河院政では、
高倉天皇や基房のように地位にあるということで参加するようになる。これは不規則的に始まった
院政がシステム化したことによる。院や摂関が穢れに触れた際も
後白河院政では奉事目録が作られ、淡々と事務処理されている印象がある。「過差」の取り締まり、という点で取り締まりつつ近臣に認めるという院のやり方に対し、改めて
天皇の存在が重みを増したことや、治天としていったん後白河「
天皇」が存在したことが、
二条天皇が院との争いで強みを持ったか。
平氏が議定に参加している気配がないことは、どう考えればいいのか、結局高位高官にのぼっても名誉職的なものだったか(もちろん、中国との貿易や
厳島神社社参拝など重要事項は清盛がきめていたのだろうけど)。