御一新とジェンダー 関口すみ子

江戸時代は女性が弱かったとか、儒教道徳との関係とか、単純には言えず、それが明治維新で西洋文明が入ってきたときの受容にも大きく関わっているようだ。▼「後室=生母」権力が、江戸時代の場合、分離されてはいたが、御台所は皇女や摂家、老女も公家出身、さらに低い身分から上昇することも。そうしたなか、綱吉殺し(ルイ15世にもなぞらえられる)からいったん権威を失墜した将軍は次々に女性にたぶらかされ、近臣に左右される存在として描かれていく。大奥老女を政治の場から追放しなければ、というのが儒教精神を叩き込まれた維新の志士たちの政治目標となったのだろう。▼一方で、江戸時代後半には、「強女」カルトもでき始める。となると・・「烈女」は、年寄りだったり醜女だったりして、セクシュアリティを極力排除する(若くて美しいと「妖婦」「毒女」となってしまう)。▼また紹介されている福澤諭吉の、とりあえず表面だけでも、という対応(男女同権かどうかはともかく、男女同数なのだから一夫一婦でいいではないか、そうでないと西欧から文明国とみてもらえない。妾は隠せ)が、人間と畜類とを区別するものとしての会澤正志斎が「妻妾同居」を挙げているのが、するりと入れ替わっているあたりは、廃娼論における福澤の冷たさ(娼妓の存在は必要としながらも人間社会の外、として蔑視の対象とすることで、江戸時代のファッションリーダー的から目立たないものへと)に通じるものも感じた。