中世の寺社勢力と境内都市 伊藤正敏

中世の寺社勢力と境内都市

中世の寺社勢力と境内都市

『日本の中世寺院』のいわば元になった論文、といったところか。相当専門的な記述になっている。挙げられている具体例は共通するものが多いが、▼第二章 寺社勢力の強制力 で挙げられている高野聖順良が九条政基の法廷(即ち「御本所様在荘」状態)に対し、越訴期限が過ぎた後に兄の冤罪と証人と贓物の明示を要求、形式的には完璧な裁判だったのに、その威嚇でムラのなかは、戦々恐々となった。物理的な暴力の恐怖である。根来寺高野山一味の訴訟、と言いつつ、もちろん集会にはかる前に勝手に要求、つまり、非合法暴力組織が債権取り立てをするにはスピードが大切。呪術は全く使おうとしない。また日根荘の流通経路を高野山根来寺が把握していたことによる「物理的強制+経済的威嚇」だそうだ。「全体社会は国家を圧伏させてしまう」。▼第四章 自由都市の本質 で検討されている信教の自由も、興味深い。一向宗本願寺に出された土橋氏(浄土宗)の起請文は阿弥陀法然にかけて、土橋氏から出た行人泉識坊は根来寺の開祖や大伝法院などにかける。「同一の俗家に属する人間がほぼ同じ日付で、宗教の紙と呪術の霊宛に、まったく同内容の二通の起請文を出している」。また高野聖は、時衆であった、とする。中世に入り汎社会的に宗教的欲求が高まり、行人の中にも、職業たる呪術儀礼とは別に信仰対象として新仏教を選び、信者となる人々も多かった。「同一人格が呪術者集団たる旧仏教の境内都市に所属しつつ、宗教として日蓮宗・浄土宗・一向宗を奉ずる現象は、境内都市が本質的に世俗である以上何ら不思議なことではない」として、戦国時代の南都の一向一揆が、春日社に連なる座衆として営業特権を維持した商工民に対して、興福寺との結合を持たない座外商人(新儀商人)の経済闘争であったことを第一に重視すべきと。