中世日本の国際関係 橋本雄

中世日本の国際関係―東アジア通交圏と偽使問題

中世日本の国際関係―東アジア通交圏と偽使問題

「偽使」という面から、中世の対馬・博多・幕府・「中間層」(細川・大内・大友など)・朝鮮・琉球の相克が描かれている。学術的で難解な面はあるが、スケールの大きさを感じる。▽「第一章 王城大臣使の偽使問題と日朝牙符制」では、ほとんどの使いが、主体が微妙に名前を変えていたり既に亡くなっていたりしているなど偽使である、としたうえで、偽王城大臣使の通交は名義人のモデルとはなんの接点もなく、朝鮮側の事情(世祖王朝の仏教的奇瑞を慶賀する朝鮮遣使ブーム)や室町時代の日本経済と国際貿易事情(軍需物資としての木綿の需要や、国内経済発展)は、間接的な背景ではあっても直接的には無関係とされる。名義人が選ばれるのは、畠山一族の家督争いや、応仁・文明の乱など、関わっていられない状況を利用している。「王城大臣使」は1474年に発給され1482年にもたらし発効牙符制により、いったん終息する。
▽「第二章 朝鮮への「琉球国王使」と書契ー割印制」では、対馬・博多勢力が「偽使対策」として割印制を朝鮮側に提案し(1471年)実現することで、実際に琉球接触する必要なく琉球国王使を仕立てることができるようになった。著者は触れていないが、想像をたくましくすれば、日朝で牙符制が施行されることが近いことを知った偽使派遣勢力が先手を打ったことも考えられるし、逆に、割印制が皮肉にも牙符制を思いつかせてしまったのかもしれない。
▽「第三章 肥後地域の国際交流と偽使問題」では、菊池氏も偽使の名義として登場してくる。懐良親王日本国王良懐)の関係で、いったん名義たりうる資格が生じ、後に偽使の偽使(1470〜1474)まで登場してくる。その時期は、対馬島主・宗貞国の博多出兵(1469〜1471)と重なる。
▽「第四章 宗貞国の博多出兵と偽使問題」は、①貞国の博多出兵により朝鮮への歳遣船を送ることができなくなり、②また残留組が偽使の偽使を送り込み、③貞国は博多商人との融和に努め第二波の王城大臣使群(第一波は対馬島人主体)や琉球国王使群が登場、⑤日朝で牙符制が発効した1482年に登場した「夷千島王遐叉」は、通交名義の数が減ることを恐れた偽使派遣勢力が急場凌ぎに作り上げたもの。
▽「第五章 「二人の将軍」と外交権の分裂」は、牙符は義政により朝鮮側の意図したIDでなく、番号をつけて使われた=対幕府内部の貿易統制に使われたが、勘合符とともに、義植・義維・大内と義澄・義晴・細川、そして大友が絡み分与され(大内に近付く相良氏をひきつけるため、大友から相良も)、外交権が分裂していった。