織豊政権と江戸幕府 池上裕子

織豊政権と江戸幕府 (日本の歴史)

織豊政権と江戸幕府 (日本の歴史)

全体的なイメージとしては、信長や秀吉の行ったことは、先行する戦国大名の施策と比べて、質的に大転換したものというよりは、延長線上にあった、ということだろうか。例えば▽信長の上洛後の政策は「当知行安堵」(寺社領も安堵)であり、また室町幕府裁判権を否定していない。土地の正当な権利者の認定と支配権の保証を畿内近国の人たちは求めていて、それに応える政策だった。また▽秀吉の重商主義政策について、「関銭の廃止は画期的ではあったが、結局、陸上・水上の交通・物流の要衝で役銭(銀)を徴収するという方式自体は継承された」とあり、「物流の促進に障害となっていた旧来の権限を一度は否定したが、結局は自己のもとに再編し直し、役銭徴収をしたという点では、中世と同質という側面ももっているとみるべきではなかろうか」と。このほか▽「結局のところ検地が人々に受け入れられた要因」として、名請人(作職{耕作権}をもつ者の名)として検地帳に登録されることが「支配者が公認し、争いになっても法的に対抗できる権利を獲得した」「検地が耕す人々にもたらした力」という面を指摘している。そして、役を負担することによって権利を主張する、という中世以来のやり方が、土地の再編成と合わせて新しい領主との間で関係が再編成されていった。