中世日朝関係と対馬 長節子

中世日朝関係と対馬 (戊午叢書)

中世日朝関係と対馬 (戊午叢書)

▽「第一部第一章 宗氏の出自」
宗氏は惟宗氏の出身で、対馬在庁官人の阿比留氏に対し、地頭代という幕府系の現地最高責任者として優位に立った。その後、少弐氏と大内氏の対立のなか、少弐氏の対馬亡命・少弐氏を担いでの北九州侵攻といった情勢の中、惟宗氏から平氏への改姓は、少弐氏から独立した一個の大名としての立場を打ち出したもの。
▽「第二章 十四世紀後半の二度の政変」「第三章 応永八年宗賀茂の政権奪取」「第四章 仁位郡主歴代と仁位家血縁の島主たち」は、宗家内部の島主をめぐる抗争と敗れた仁位家側も実力者として残り守護代として遇され、島主に女を入れたり島主の跡を継いだりしたため、記録も改ざんされたりわかりにくくされたりしている。
▽「第五章 宗氏領国支配の発展と朝鮮関係諸権益」
代々の島主が朝鮮側の貿易統制を利用して島主の文引を持たない者の通交を禁じることで統制する。世宗18年に島主宗貞盛の使人が暴露した過海料や滞在費の詐取の手口(乃而浦居住の倭人海上で待ち合わせ、最初からの乗船員のように装う)から、人数や名を明記した文引を持たせるというようにさらに強化された。
▽「第二部第一章 壱岐牧山源正と松浦党塩津留氏の朝鮮通交権」
壱岐の豪族だった塩津留氏が、対馬に亡命後、かつて保持していた通交権の実績から新たに自力で確保した牧山家の通交権を、牧山家側に名儀料を支払うことで、宗家側も認めた。通交権は、宗家側の独占(三浦の乱後、宗家側の努力で回復・獲得した通交権)のもの、家臣に給分として渡されたもの、1年程度の利用権を売買するものなど、さまざまな形態を考えなければならないと。