室町幕府と国人一揆 福田豊彦

室町幕府と国人一揆

室町幕府と国人一揆

足利将軍の直属軍・親衛隊であった室町幕府の奉公衆についての分析は、わかりやすい。
▽構成では①足利一門(ただし格の高い斯波や渋川・吉良は見当たらず細川・畠山も代々の守護家はほとんど見られないおよび守護大名の諸流②足利氏の根本被官(伊勢・高など)③有力国人領主であり、義教初期には整えられ、義材の明応2年の河内動座(細川政元によるクーデター)までは機能していた。
▽五番に編成され、所属は家ごとにほとんど譜代的に固定されて、各番衆は、番ごとに強い連帯感情をもって行動していた。六角征伐の際には、味方の守護大名京極氏を将軍出仕の際に討ち取ろうと盟約(明応元年)するなど、団結の強さがかえって将軍と守護大名との間の軋轢のもととなったことをうかがわせる。また、こうしたほう公衆の存在が侍所所司まで務める京極氏が六角氏に比べて近江から脆く撤退した原因と分析されている。
▽奉公衆は、室町幕府の御料所を預け置かれ(自己の所領の保全のために御料所にした者も)、幕府の直接的な経済基盤となっていた。▽有力守護大名を牽制・統制し、地方における将軍権力の拠点となった。