スティーヴィー

虐待を受けた子どもが虐待に走る。それにしてもよく関係者が、当人は昔の関係があったとしても、虐待の過去のある母親、性的被害を受けた妹、彼の全面的な理解者でありおそらく甘やかしてしまった義理の祖母、知的障害の婚約者や母親、何より被害者の母親である叔母といった関係者が、撮影に応じたものだ。最後に謝辞が出ていたが、彼を取り巻く家族の表情が迫力を増している。裁判の進行に伴う当人の心の揺れが映画を進行させていくが、そのバックに、彼を見捨てたのではないか、という監督自身の自責の念が流れている。母親が悔いて宗教に救いを求め、娘の出産に積極的にかかわろうとする姿、それを冷ややかに受け止める娘の表情に、いったん壊れてしまった家族とそれを取り戻そうという試みの困難さも十分に描かれている。