的と胞衣 横井清

的(まと)と胞衣(えな)―中世人の生と死

的(まと)と胞衣(えな)―中世人の生と死

「差別」「けがれ」「遊び」を通して中世の人々の心情を探ろうとする。
▽「一 的と胞衣」では、「草鹿(くさじし)」という的や富士の巻狩りで頼家が猪を射止めたときの頼朝の喜び(源氏の正嫡として神に認められた→範頼の紂殺)、先立つ那須野の巻狩りでの鹿を射損じた河辺六郎行秀の逐電、富士の巻狩りで大鹿を射損じて病みついた工藤景光と、鹿に対する中世人の思いを読み取ろうとする。
▽「四 殺生の愉悦」は、謡曲『鵜飼』を題材に、「工夫を凝らし道具を鍛え技を磨いて獲物を我が手に掴むことは、まことに心楽しき所行なのであった・・生き物を見事に仕留めること自体に、いわば”忘我の境に遊ぶ”がごとき精神的価値があった」とし、倫理観で目を逸らすことは殺生によって日々を生きてきた膨大な数の人々の心性のほんの一部分しか垣間見ていないと。「極端には、中世の漁撈・狩猟の時空と中世の『つわもの(兵)』どもの合戦の時空とを一望の下に収める視座に立ってみるのも、中世をより深く知るには必要ではないか」と、「楽しまれた殺生」という問題点や、生業と卑賤視との問題とを指摘している。