死者たちの中世 勝田至

死者たちの中世

死者たちの中世

中世京都で、貴族の日記で「五体不具穢」に代表される記載から死体の放置状況をさぐり、1220年代から急減することを指摘する。親族以外は関われない葬送の風習や風葬の習慣、日記や記録に表れる皇族や貴族の葬送の事例などを紹介しつつ、清水坂などの「非人」層が成立し「清目」として死骸の搬送に携わり、その運ぶ先が京中を離れ、蓮台野や鳥辺野などへとなったのではないかと推測している。