平将門の乱 川尻秋生

平将門の乱 (戦争の日本史4)

平将門の乱 (戦争の日本史4)

菅原道真の霊が登場することに、道真の息子・兼茂が常陸介だったことをあげているが、ひょっとしたら、時平の死で道が開けた忠平への心理的揺さぶりかまたは阿りもあったのではないか。▽八幡神伊勢神宮と異なり、民間からの天皇位正統化の根拠となり、都での八幡神信仰の流行を知っていた興世王常陸掾・藤原玄茂らの演出としている。▽武士の成立として、将門を討った貞盛・秀郷・経基の子孫に「辟邪の武」が期待される。▽文官に比べて低く見られる武官であったが、天慶三年正月十一日官符によって、地方の軍事貴族たちが一躍四位や五位に躍進、兵としての位置付けは格段に上昇し、兵として再生産される道を拓いた。