新・中世王権論 本郷和人

▽『源威集』に出てくる「首頂」という言葉から、もともと同格だったけどトップ、という北条氏の位置付け、そもそも北条氏は源氏の外戚ですらなく、政子の力も買いかぶりすぎだと。▽本書の読みどころは、「王権」の本質であろう「撫民」意識のあり方の分析である。極楽寺・安達の「統治」派(宗尊親王追放後の将軍が「源」惟康であったことは確かに注目かも)と平頼綱らの「御家人の利益」派との対立を徳政令や本所一円地の御家人化をめざす法令の揺れから読み解き、元寇を機に幕府を統治権者として全国の武士が見たときに、その幕府が「御家人の利益」派になっていて、統治権者としてふさわしくなくなっていた。▽後醍醐天皇の評価は低く、「後の三房」などは後宇多の廷臣だった。結局幕府が上記のような上体であった上に、なおかつ高時など主従的な振る舞いもみられはじめ「もともと同格」という御家人の意識を刺激し、崩壊に至ったのだと。▽分類して分析していくのが本書の特徴であるが、政治抗争を「A、明確な路線対立を伴うもの」と「B、権力の争奪に終止するもの」にわけ、Bを和田合戦、宝治合戦など、Aを承久の乱霜月騒動などとする。そして、鎌倉幕府倒壊の際、「鎌倉に攻め寄せた御家人たちは、北条氏に代えて足利氏を首頂にするために、幕府内の政権交代に参加するつもり」で、「期待にかかわらず、京都で別の政治が始まってしまった。狐につままれたように思っている武士が少なくなかったのではないか」という著者の想像は、痛快ですらある。