横浜中華街

開港に伴う英米仏の商人のいわば助手である買弁として住み着いた唐人街→南京町は、雑多な職業の集まりだったのが、大震災に伴う貿易商の神戸移住、日中戦争に伴う帰国などで中華料理の街となっていく。その間、孫文を匿ったり、国共対立のあおりで華僑同士が紛争を起こしたりと苦難の歴史を積み重ねながら、戦後「怖い街」から明るい安全な街へと発展していく。「福満園」「徳記」「安記」「海南飯店」「海員閣」などの店の名がひょいと出てくるのも楽しい。