京・鎌倉ふたつの王権 本郷恵子

京・鎌倉 ふたつの王権 (全集 日本の歴史 6)

京・鎌倉 ふたつの王権 (全集 日本の歴史 6)

鎌倉幕府というのは、実に不思議な政府である。実力は優に京の貴族を凌ぎながら官位昇進を望まず、高圧的な要求をへりくだった形式で差し向けてくる。当事者主義の原則にこだわり、本所一円地の悪党討伐や相続などでは、「聞きました」「将軍にお見せしました」という歯切れの悪い形でしか了解を与えない。「幕府の発信する法や制度が、幕府の予想を超える形で社会に受け止められ、社会によって主導権を奪われたことが、(幕府が滅びた)主たる原因だった。そして、飢饉が来れば神頼み、蒙古や高麗・三別抄からの書状では訓読の方法などにしか興味を示さない、ふざけた、そして柔軟な「公家政権の生き延びる力は、ふたたび試されることになった」。蒙古襲来は朝廷にとって地震や洪水のような天災に類するものであって、幕府にとっても武力発動は、朝廷の祈祷に対する役割分担の意識に過ぎず、動員される御家人にとっては、幕府に対するアピールで視線は敵よりも内に向く、ということで、「当時の社会には、通交はあっても外交はなく、対外意識もごくお粗末であった」は至言である。