「鎖国」という外交 ロナルド・トピ

「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9)

「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9)

江戸時代の日本が「鎖国」であったというこれまで一般的だった考えを否定し、長崎・対馬琉球松前という「四つの口」(ただし、長崎は「玄関口」)を通じて、東アジア・東南アジアの経済圏と密接に結びつき、幕府は情報収集と統制に努めていた、という。同じ時期に読み進んでいた『江戸幕府と東アジア』と同じ方向の主張だ。朝鮮使(そして琉球使)を自らの威厳につなげようとする幕府、それを見物し、祭りの行列にも取り入れる民衆。髭や衣装などの「コード」や富士山を通じて、絵画史料から、「三国」から「万国」へと変化していった日本人の「国際意識」の移り変わりもとらえている。外国人研究者の視点からのユニークな指摘に感心した。台湾の鄭氏支配が崩壊するのに伴って「広南(ベトナム南部)」から到着した船が、清朝の官吏が正確な情報をもたらしたという話は、その船長が実は海外から帰国が認められなかった日本人だったとしたら、と想像すると面白いかもしれない。