徳川の国家デザイン 水本邦彦

徳川の国家デザイン (全集 日本の歴史 10)

徳川の国家デザイン (全集 日本の歴史 10)

▽「兄の道、弟の道」(在地の土豪地侍がたどった選択コース)の表現が興味深い。彦根城下の下魚屋町での住民の出身地域や出身階層を分析し、農村とのつながりや、武家奉公人を媒介に武家奉公や町方奉公など百姓から町人への身分変換が実現する。「女性の場合は、婚姻が身分変換キーといえる」。▽江戸時代は、山は肥料(徳川中期の松本藩領のデータからは田畑面積の10倍に及ぶ山野が必要)や家畜飼料(その糞は厩肥となる牛は、明治のデータでは「一疋の飼育に六町歩近くの生草が必要)を採取する関係で草山が大半。土砂流出をめぐり、村の間で争いがあった。また用水・灌漑の工事は農地の生産力を向上させていく。自然と人との関わり、人による自然の改造が行われていった。