次男坊たちの江戸時代 松田敬之

次男坊たちの江戸時代―公家社会の“厄介者” (歴史文化ライブラリー)

次男坊たちの江戸時代―公家社会の“厄介者” (歴史文化ライブラリー)

江戸時代を中心に明治初期までの堂上公家・華族の「次男以下」の人生を紹介している。公家について武家で使われる「厄介者」「部屋住み」という表現は実は当事者たちは使っていなかったというが。「子」「実子(本当は養子なのだが手続きが面倒なので、取り返したことにする)」「養子」「猶子」「密子」。堂上から地下へ養子に入り家格をあげることに成功した者(萩原信成)、当主の座を追われたり(醍醐忠貞)廃嫡されたり(大炊御門師前「従三位の警部」・東三条公恭)した者、甥に引き取りを拒否された者(松木宗房)養家先で娘を虐待し出奔しながらも、別の娘を大名家(松浦静山)の側室にしてその産んだ子が跡取りとなった者(外山光時)とさまざまだ。猶子については圧倒的に寺が多い。寺のとっては「箔」がつく。全国に広がっているそうだ。真宗を除いて妻帯しないから、一代限りで供給しやすいということがあるらしい。