お殿様たちの出世 山本博文

お殿様たちの出世―江戸幕府老中への道 (新潮選書)

お殿様たちの出世―江戸幕府老中への道 (新潮選書)

老中は、将軍の側近という位置付けからスタートしたので、四天王家などは家格が高すぎて就任があまりない。大老は、少将が前提で、井伊家は少将の家柄だから幕政に関与するとなると大老、となる。下馬将軍酒井忠清の逼塞で雅楽頭家が家格を落としたために酒井家からの大老は幕末まで出なかった。少年で将軍となった家綱のころから、幕政の切り盛りの要素が強くなり、傍系から入った綱吉は、譜代大名に側近がいなかったために奏者番寺社奉行京都所司代などを務めた者から老中を選び、老中への出世コースができ始めた。吉宗は積極的に譜代大名を登用するようになり、後には左衛門尉家のように、家格が高くても老中を務め鶴岡藩の財政を窮迫に追い込むような例も。ペリー来航時の幕閣は弱体で、諸大名に意見を求めざるを得ず、家門大名は幕政から隔離されていたので政治責任の観念がなく、完全に反対勢力に回ってしまった。中小譜代大名の老中たちが幕政を切り盛りできたのは、将軍の権威が背景にあったから、と結論付けられる。