開国と幕末の動乱 井上勲・編

開国と幕末の動乱 (日本の時代史)

開国と幕末の動乱 (日本の時代史)

徳川慶喜は、注目された経緯からして、譜代や直参から警戒されて十分な指導力を持っていなかった。また王政復古の大号令後は、たとえ松平慶永徳川慶勝山内容堂らが主導権を持ったとしても、「議定」という枠組みの中にいる以上、その枠組みをつくった側の権威に従うことになる。仮に慶喜が参加したとしても。▽「武威」の意識・担い手が、対外危機の中、本来の当事者ではない廷臣や一般民衆にひろがったところに肥大化・現実離れの傾向を示す。▽「徳川の遺臣」。日本は皇統が続いていることを前提に「遺臣」が存在しえないという大日本史史観を紹介しつつ、王朝的権威を打ち立てた幕府直参の「遺臣」意識を川路聖謨らを例に、福沢諭吉の「痩我慢の説」と徳富蘇峰の反論、内村鑑三堺利彦の再反論を取り上げる。伯夷か柳下恵か。