金色堂はなぜ建てられたか 高井ふみや

金色堂の藤原三代のミイラの首。寺伝の忠衡が否定され、通説では四代泰衡となっている。それは、額から後頭部に貫かれた穴の存在から。しかし著者は、首に付けられた数々の治療痕や大きく割れたままの傷に注目。泰衡よりも初代清衡の父・経清こそふさわしいとする。そして丹波京北町などで安倍貞任の首が埋められユズが育たなくなったという伝承を追い、経清の首が清衡のもとにもたらされた可能性を指摘する。金色堂は葬堂であり、国家の反逆者を祭るものものだったので、清衡が死んで納められるまで公にされなかった。地蔵像の存在も説明がつく、と。もとより仮説にすぎないが、楽しく読めた。塩漬けされて「筥(はこ)」で運ばれ、京都の比較的冷乾な時期にさらされたことが、首の保存状態をよくし、それを見た清衡が自らの死後の防腐・吸湿・乾燥処理を考えついたかもしれないと。