中華幻想 橋本雄

中華幻想―唐物と外交の室町時代史

中華幻想―唐物と外交の室町時代史

他者崇敬としての中華(文化へのあこがれ)と自己投影としての中華(自身こそが世界の中心とする)とに分け、そして和と漢の入れ子構造で文化と唐物を論じる。「和」の中の漢は、実際の中国ではなく、日本文化の秩序の中に位置づけられたものなのだ。以下、▽「室町殿の《中華幻想》」では、足利義満日本国王は、その受封儀礼が実は高飛車なものであり、内輪の者しか参加していなかったことから天皇制への挑戦などというものではなく、建文帝の足元をみて貿易の実利をめざしたとする。▽「大内氏の唐物贈与と遣明船」は、嘉吉の土一揆朝貢品の調達がままならなくなった幕府が、遣明船をエサに大内氏に持ちかけ、大内氏としては1船ではだめで2船なら元がとれると考えて駆け引きが行われていたこと、唐物は貨幣価値に換算されるレートがあったこと、大内氏経営の遣明船が復活(一五〇九年)するのに四〇年かかり、「そのため、博多商人たちは朝鮮貿易や琉球貿易に精を出すようになり、《偽琉球国王使》などが生み出され、その結果、九州西岸ルートも活発化していった」。▽「永楽銭の史実と伝説」では、永楽銭は新しかったこと・大きかったことから嫌われていたこと、義満時代に輸入されたのは従来と同じ宋銭などと考えられ、貨幣発行権を握ったなどというものではないこと、日本人僧が「永楽通宝」の四文字を揮毫したというのは、どうやらただの冗談話であったとされる。▽「朝鮮国王使と室町幕府」は、朝鮮使の入京費用などは臨時に集める「国役」「守護出銭」で賄われ、調達が難しいときには、「商売できているんだろう」と言いがかりをつけて返そうとした。朝鮮使は来てはほしいが逆に日本からは、大蔵経などさえ手に入れれば送りたくないという立場。そして朝鮮では日本使が、日本では朝鮮使が朝貢的な態度をとらされていた、このことを現代の我々が屈辱などと捉えるべきものではなく、双方の「幻想」を認識すべきであろうと。また朝鮮からは大蔵経琉球からは銭や香料を輸入することばかり汲々として自ら恩徳を施そうとしない室町幕府は、中華たる資格を完全に欠いていると。