自由にしてケシカラン人々の世紀 東島誠

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

哲学的というか思索的というか、歴史をみる視点というか。印象に残ったものを。▽庚寅年(1350)倭寇は、観応の擾乱の勃発とリンクしていた。少弐頼尚が軍事行動を起こす際、兵糧の調達先が高麗であった。▽京都は流通が途絶えれば飢える都市。徳政一揆は、京の口を塞いだ後、突入する。幕府の徳政令は自力救済の事後承認。▽町の自治は、犯罪人の検断などとの引き換えに認められ、生きにくそうな。▽駿河河東のような国境地帯は、「境目の領主」や商人の活躍するところだったが、徳川氏の支配は均質化をめざすものだった。▽信長は中世の権威を否定していない。統合している。