将軍権力の発見 本郷恵子

選書日本中世史 3 将軍権力の発見 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 3 将軍権力の発見 (講談社選書メチエ)

鎌倉幕府は、主従制の基本である「主」が不在となり、その結果「合議」による「法による判断」にもとづく「合理」的な支配を原則として掲げたが、そうなると北条氏以外でも担当可能となり、「合議と殺し合いを交互に行い、そのあいまに、将軍の首をすげ替えていたのである」。御家人のための政権である以上、緩衝地帯の非御家人世界は広い方がよい、というのが、鎌倉幕府が、公家政権との関係で消極的な理由と著者は挙げている。室町幕府は、公家政権の全国支配という名目に囚われず守護大名の平和を目的としたのもので、関東禅林に対する「官宣旨」などの大量発給は、全国的普遍的な権威を持つ公家政権から宗教的な普遍的存在の宗教勢力を、「外交」の対象となる地域権力とは別に把握しておこうという意図と考えられる。そして、公家政権の、何百年も前の事例の形式でもたちどころに先例を持ち出してくる蓄積と執拗さ(さらに知的可能性)に、天皇存続の理由の一端を見出しているようだ。そうしたなかで、室町幕府の「将軍権力」が発見された、と言いたいのだろうか。