贈与の歴史学 桜井英治

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

一読した印象は、中世は極端でからりとした形式主義の時代だったんだな、ということを強く感じた。「相当」ということにこだわり、席次やあいさつの文面などに細かな決まりがあるから、贈与もそのルールに則って行われる。数が足りなければ(足りないと思えば)受け取らないし、返礼を大幅に遅らせたりして相手との立場の違いを見せつけたり。といって、後小松上皇貞成親王のように、死ぬ直前に借りを返すように、意識はされていた。そして贈与の形式主義は、室町幕府が、将軍の御成りでの献上品をそのままほかの寺などの修繕に回したり(お眼鏡にかなえば収蔵されるから、それは名誉なこととなる)、神社などに奉納される馬は、博労を通じて売却されたり。本願寺に馬の贈与をねだる武士たちからすれば、確かに、本願寺に贈られた馬であれば間違いあるまい、という意識はあったろう。極めつけは、銭の贈答における「折紙」だ。折紙だけを届け現金はあとから、という仕組みは、とりあえずの手元不如意が助かることから乱発され、回収が滞る。裁判に有利な判決が出なければ回収をあきらめたりと、贈与者側のリスクを減らし、受け取った側は働かなければ、現金化できなくなる。折紙を受け取った側が贈った側に別の支払いが生じたとき、折紙を返して充てる、相殺まで行われる。甚だしきは、将軍など限られた上位者は、贈られた折紙を第三者に回してしまう。贈った側からしたら、全然違う方に現金を持っていかなければならない。なかなか現代と異なった、それでいて通じるところもないではない、中世の贈与の世界を知ることができた。