「
蛮社の獄」は、
蘭学者の弾圧でもなければ、幕府内部の
守旧派と
開明派との政争でもなかった。林家はもともと幕府から海外のことで諮問にあずかる家で、海外の事情にも通じ、決して頑迷な
守旧派ではなく、その提言も、漂流者の受け取りを主張するなど、理にかなっている。処罰された
蘭学者は
高野長英だけだし、海防に熱心ということは
鎖国を守ろうということで、開国派とは発想が根本的に異なる。江川英竜は海防派である。
渡辺崋山は、
蘭学に熱心なことを韜晦するために、海防の必要を言い立て、
守旧派のような表現で繕うところがわかりにくいだけだった。それは、
田原藩の代
助郷を免れるために海防を理由としたのと同じ。▽
無人島事件で4人の町人・僧が獄死し、関わった
幕臣は軽く済んだ。亡くなった町人と、判決後急死した北
町奉行・大草
安房は、さぞや無念だったろう。
鳥居耀蔵は、多少の西洋式軍備をそろえたからといって
江戸湾を守れるわけではないという合理的な思考を持っていた。ただ、
鎖国が崩れれば幕府を揺るがしかねないという考え方から、
蘭学の「大施主」である崋山を、一罰百戒的にとらえようとして、
無人島
渡航事件をでっちあげてそこに崋山をかかわらせたのだ。