神と肉 原田信男

新書730神と肉 (平凡社新書)

新書730神と肉 (平凡社新書)

縄文的な狩猟獣の犠牲が弥生に引き継がれ、さらに中国北部から朝鮮半島を経由して牛や馬の犠牲が入ってきた。牛馬は価値が高いだけに犠牲にすればよりあらたか、というわけで、猪鹿・牛馬ともにほそぼぞと残ったことに代わりはないが、弥生文化が浸透しなかった東北では猪鹿は見られない。そして中部日本から西日本にかけては、本来は犠牲は鹿、ということになり、また犠牲が行われるのは穢れをもたらしてそれを洗い流すために雨を、という倒錯した論理になっていく。ところで、岡山・中山神社の下りで、「もとより牛馬を愛でさせ給ふ事のなへてならぬ御神」を、「牛馬の守護神とされてたにもかかわらず、家畜である牛馬を嫌っている」と解して、鹿へと展開する論拠のひとつにしていくのだが、この「なへてならぬ」は、高校生向け古語辞典にもあるように、「並べてならず」、つまり「好むところ並みひと通りでない」、大好き、ということの方が、自然な解釈だと思うけど。