平泉の世紀 高橋富雄

平泉の世紀―古代と中世の間 (講談社学術文庫)

平泉の世紀―古代と中世の間 (講談社学術文庫)

▽『宋史』「日本伝」の「東の奥州は黄金を産し、西の別島は白銀を出して、以て貢賦となす」。マルコ・ポーロジパングの金とは奥州の金を指し、奥州は中国と深くつながっていた。▽そして、阿倍比羅夫の遠征によって十三湊に「津」が置かれ、『続日本紀』養老四年の記事となる。泰衡は蝦夷ヶ島に渡るために十三湊をめざしたはずで、そこを預けられていたのが、泰衡の死後に乱を起こした大河兼任であると。▽蝦夷は名馬の産地であり、平安時代、そのハイライトが「陸奥国臨時交易馬(むつのくにりんじきょうやくば)」。臨時は、特別、というほどの意味。糠部駿馬の名が高まった。これを確保するのが内地の目的。▽源氏は、前九年の役清原氏の後塵を拝してから、「私の宿意」をもっていた。そして、「安(あん)大夫」「清(せい)将軍」に続く藤原氏は、皇帝の命を聴かず将軍の命を聴くという幕府の実態から、鎌倉に先行しているものだった。