儒学殺人事件 小川和也

儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉

儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉

儒学は趣味で専制的に振る舞う将軍・綱吉と、統治の手段としての「明君」であることを求める大老堀田正俊の対立。稲葉正休は、綱吉の意を受けていた(殺せまではなかったろうが、大老辞職を説得できなかったのだろう)ことを示唆している。主君と家臣個人同士の関係が、主家という領民を含めた存在への忠と武士団の志向が変っていくなか、統治としての儒学という意識が家綱期から広がってきていた。