戦争に隠された「震度7」 木村玲欧

1944年12月の東南海地震と1945年1月の三河地震は、悪化する戦局のなか報道統制されたため、地元ですら記憶があまりされていない(1943年の鳥取地震は、比較的報じられていた)。地震津波連想がなくて被害にあった人、地盤の脆弱性、単発の災害の経験によりかえって被害にあった人(前震が続いたことから、避難しやすいようにと1階で寝ていて倒壊家屋の下敷きになった)など。災害を「わがこと」と受け止めて対処していく防災教育の重要性を強調している。