下野国の駅長の子として生まれ、
大慈寺から
延暦寺に。承和の
遣唐使で入唐し、請益僧であるために認められなかった巡礼を、大使の理解のもと、置いて行かれたことにして、
新羅商人の協力もあり、五台山巡礼を果たす。会昌の廃仏に遭遇するが、この強制還俗から外国人僧侶追放の流れで結果的に帰国がかなう。交通の援助や経典の保管などには在唐
新羅人ネットワークが大きくかかわっていた。帰国後は、
藤原良房(そして
伴善男)に接近。
文徳天皇急死(そういえば、「徳」の字があるのは、怪しい)で心に悩みを抱えた権力者を癒す。
立石寺の入定窟には、金箔を押した棺があり、火葬・土葬の人骨と、頭部の木像が納められていた。頭部は円仁をモデルにしたのか。遺骸は頭部とそれ以外が、
比叡山とに分かれて納められたものか。