検証長篠合戦 平山優

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

▽『甫庵信長記』も『甲陽軍鑑』も、同時代人の目にさらされることから決して一概に荒唐無稽と決めつけられない。▽武田家は信玄以来、鉄砲の導入に努めたが、火薬原料の煙硝や玉の原料の鉛の入手に苦しみ、鉄砲の数が仮に揃ったとしてもすぐに沈黙してしまう。だからこそ長篠合戦後に勝頼は、一丁当たり三百発と定めたのだ。▽騎乗しての戦闘は行われており、宣教師は馬に不慣れな西日本の例しか見ていない。調教にしても同様。▽信長の軍隊が兵農分離という証拠はない。馬防策は、戦では一般的。逆茂木の材料が必要なことを考えると、美濃から持ち込むとは考えられない。▽古戦場の陣城は、大規模構築の跡は後世のものとの混同も多々あるか。▽武田方は、突撃すること・踏みとどまって戦うことを高名とした。▽というわけで、勝頼は、多少不利な状況ながら、情報の不足から織田・徳川を過少にみて十分に勝機はあるとみて開戦し、付け城が落とされたこともあり、突撃したが敗れた、と。