北条氏と鎌倉幕府 細川重男

北条氏と鎌倉幕府 (講談社選書メチエ)

北条氏と鎌倉幕府 (講談社選書メチエ)

北条義時は、武内宿禰の生まれ変わりとの伝承を持つ。数代の主君に仕え、神功皇后に相当するのが尼将軍・政子。応神天皇に相当するのは、藤原頼経承久の乱で勝利したのはタダものであってはならないのだ。「得宗」は、時頼が贈った号「徳崇」から来たもので、名越家との関係で後継者として正統性を欠く時頼が、同じ状態だった義時と「崇」号を同じくすることで、正統化の根拠としたのでは、と。得宗は、鎌倉将軍の「御後見」として鎌倉幕府と天下を支配する。▽時宗は、二月騒動で独裁を強め、惟康王には源を名乗らせ、頼朝と同じ官位に上らせようとした。皇位介入は、余計なことであった。金沢顕時の「薄氷踏むがごとき」は偽文書だが、時宗政権の空気をよく伝えている。