王朝国家政務の研究 曽我良成

王朝国家政務の研究

王朝国家政務の研究

平安貴族・官人は、それなりの責任感を持って国政に取り組んだ、という視点。▽「政」の衰退と「定」の重視、について、「政」と「定」は一連の過程であり、弁官局が随時個別に上卿の指示を受けて文書処理を行い蔵人を経て上奏する「奏事」が増えたことが「政」の衰退の原因で、権門相互間の所領相論が中央で審査するようになったことが関係していると。それは、増加した時期の官宣旨の性格が、単なる官符よりも手続きが簡略だから、ではなく、権門間相論裁定と一国平均役の認定・免除など新たな事項に付いて発行されたものからも。▽実務官人は、血縁による継承のほか、地方の官人を養子にする形で継承されていった。だから姓が寡占化される。弁官は、文庫を管理する小槻家が「官務家」として成立、外記局は、連絡などを担当したため一時衰微するが、藤原頼長信西・伊通らが、復古に熱心で、清原・中原の「局務家」が遅れて成立する。