平城・陽成・冷泉・花山の4人の
天皇は、本来「正統」と位置付けられていたにもかかわらず、いずれも子孫に
皇位を継承できなかった。狂気・粗暴などの悪評は、「非正統」の
皇位継承やそれを望んだ
摂関家があとからつくったもので、そのエピソードも、中国古典からの流用や若気の至り、鬱憤晴らし程度のものが誇張されたものと。陽成と冷泉とで、璽の筥を開けようとしたり宝剣を抜こうとしたりと神器の権威を軽んずる行為とが共通する。陽成の殺人事件というのも、確証がない。冬に
夜着を脱ぐ同じ行為が、醍醐では聖帝の、冷泉では愚かな行為となる。
易姓革命のない日本では、「狂気」の形で皇統を変えているのだ。帝位についていないからだろう、著者はほとんど触れていないが、
小一条院の悪評も、同じ論理で理解できると思われる。