増補 吾妻鏡の方法 五味文彦

文献学?のような記述の部分は退屈だが、「曽我物語」を「吾妻鏡」を補うものとして、王殺しのモチーフを浮かび上がらせる視点(頼経・頼嗣・宗尊の追放は擬似的な王殺し)は新鮮。源実朝の政所の充実(別当が京下りの官人や在京御家人を含む9人に)が将軍親裁の強化を目指すもので、その結果が実朝と仲章の暗殺、政所の全焼、という解釈は、これまでの自分の実朝像とはだいぶ異なる。将軍独裁から執権制を経て得宗専制にいたる経過に付いては、安堵と理非決断双方が未分化のまま将軍に属していた(北条氏は当時は執事として代行)のが泰時・時房の代で理非決断が移り(頼経元服を前に評定衆の新設)、さらに安堵が得宗に移ったことで得宗専制にいたる流れとなる。将軍独裁との違いとして、「真の権力の主体であり専制者である得宗は政治的責任を回避することができた」とし、幕府の弱体化を体制の構造に求める論は極めてわかりやすい。

吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世

吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世