日本の選挙 加藤秀治郎

日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか (中公新書)

日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか (中公新書)

日本でかつて衆院選で採用されていた「中選挙区制」は極めて特殊で学問的に理が通らない制度(単記で単純多数。結果として派閥選挙、金のかかる選挙)というのを前提に、選挙制度は民主主義の理念に基づくもので単なる技術論ではなく、安易な利害得失を論じるのは誤りである、とする。そして、多数代表制(小選挙区制や完全連記制)をバジョット、比例代表制をミルやケルゼンをひきながら、思想的背景を説明している。▽大統領制でなく、議院内閣制をとるなら、選挙は「機能する多数派」を造るもので無ければならない。また、シュンペーターは選挙を「与党を追放させる機能」を重視し、ポパーは、「流血を見ることなく現政権を追い出す可能性」を重視する。その意味からは、比例代表制は連立工作によって与党が政権を維持してしまう可能性が残るから、小選挙区制が支持される。▽「情報コスト」という言葉が新鮮であった。高ければ投票率の低下につながるだろう。▽参議院をどうするか。日本の参議院はほとんど衆議院と権能が変わらないから、衆議院と別の構成をもたらすような選挙法はとるべきでない(それはそれとして今の参院の選挙法はめちゃくちゃだが)。同じにすると二院制の意味がない。著者は憲法を改正して参議院の権能を弱めるべき(せめて衆議院の再議決は過半数に)としている。▽衆議院だけでなく参議院や地方選挙の選挙法まで統一して考えなければ、政党構造まで変えられない。▽首相公選は党議拘束やねじれなど問題が多い。ドイツ式に党首を首相候補と明示して連立の方針も明示して選挙をすべき。▽選挙制度が政党構造を決めるというデュヴェルジェの法則は、比例代表なのに2党制のオーストリア小選挙区制なのに多党制のカナダなど例外も多い。政党の拘束力と組み合わせるサルトーリの理論が適正では。日本は政党の拘束力が弱いので小選挙区でも選挙区ごとの候補者の絞り込みには通じても全国的にはつながらないと。この論は1996年の選挙(自民と新進のほかに、東京や北海道で民主)では通じたが、2003年の選挙などを見ると、だいぶ二大政党になってきたようにも思われるが。