日本型ポピュリズム 大嶽秀夫

▼細川・橋本・菅・加藤など、小泉・田中眞紀子より前の政治家に着いても触れているのが、ある意味、新鮮に感じられた。▼橋本や加藤について、本来マクロ的には誤っている財政再建政策にこだわったと指摘し、特にあとがきでは、その論旨を中心に据えている。すなわち、改革派の打ち出す経済政策は誤っていて、抵抗勢力の方が正しく、功を奏して景気が回復すると、腐敗や財政悪化が目立ち、また改革派が出てくる、という解釈である。都市部の有権者財政出動の恩恵を受けていないと少なくとも自覚的には考えていて、そのあたりが改革派の支持基盤になるのだろうか。いわゆるポピュリズムは、一見社会主義的財政大盤振る舞い、という印象があるが、著者の通りとすると日本は逆で、「口に苦ければ良薬」的の印象も。▼小泉について、「感情化」「人間化」「単純化」ととらえ、レーガンと比較しつつ、レーガンのように国民に自信を与えるポジティブなポピュリズムではなく、ネガティブなポピュリズムと分析している。▼田中眞紀子を取り上げた「戦略なきポピュリスト政治家」は、週刊誌的でおもしろかった(というより、週刊誌ライターの本をまとめて整理した、というところかも)。「テレビニュースの変容」の、田中を少しでも批判すると激しい抗議電話やファックスが押し寄せる、という当時の状況を思い出すと、やはり一種の集団ヒステリー状態だったのかもしれない。平成元年の参院選当時の社会党躍進もそのたまものであったろう。▼日本社会がポピュリズムの登場に抵抗する力が決定的に不足している根拠として、①テレビが視聴者に媚びる②新聞社が系列局をもっているためテレビで持ち上げた傾向をあまり批判しない③テレビも一応、世論に対して権威をもっている、を挙げている。テレビニュースに深い解説を求めるようになった、という世論の背景に、これまで活字に求めていた役割が移ってきたのだが、単に活字離れの表れではないか、という分析はその通りだろう。テレビは余りに情緒的なメディアで、深い解説には全く向かないもの。これは困ったことだし、危険だ。