「中世寺院=宗教の場との認識は根拠のない誤った俗説」という立場を根本に寺院から宗教色を取り去り、経済的実体として捉える。▼中世寺院は最先端の技術者が集う中世
テクノポリスであり、その中核である行人・遊行僧を重視する(従来の研究が学侶中心であり歪んでいると批判している)。
大日経にある「商人心(しょうにんしん)」から
プロテスタンティズムと資本主義・商人心と人の経済的営為はフラットになる、とする。そして、富を支えるものとして、「弁論+呪術+暴力」の三位一体を論じ、仏典の研究・討論技術(
ソフィストとしている)それを支える悪僧・
荘官(関わる荘園に関係なくても出陣し、「忠」を尽くす)らの武力・強制力としての呪術(自分たちに都合よく克服されている)について説明している。▼本書の白眉とも言える都市論では、中世の寺は門ない出入り自由→門内と門前の一体化(
東大寺の門内には現在も一般の住宅地が広がる)→寺社境内都市の成立と論旨が進む。黒田「寺社勢力」は「寺社境内都市群」とすべきだとされる。
興福寺・
東大寺の南都だけでなく、叡山の門前都市として京都を位置付ける。「山門気風」の土倉の存在、
末社に位置付けられる
祇園社の祭り・
祇園会の範囲、神輿の休みどころの検断権の所在などから根拠付ける。興味を惹かれた記述としては、▽
祇園会は武力のデモンストレーション▽奈良・南都の例として、複数が検断権(犯人の財産を没収できる)を
保有し、事あらば、先に検断使を入れたほうが当該事件の検断権を持つという「入勝制(いりがちせい)」を紹介し、単一公権の保持者が存在しない実態を明らかにしている▽
高野山・四ケ院を例に、それぞれは
自治組織だが、全体としての重要決定はくじによる。
イデオロギーを欠いた無機的な「状況的合意形成システム」と断じている。▽身分が高いはずの学侶から行人に権力が移ったのは、学侶の収入源は法会に付随した荘園からの年貢で法会に参加して受け取るいわばサラリーマンであるのに対し、行人は金融業など商工業に進出していったことに求めている。▼国家論的な展開としては、国家に同値するものとして「全体社会」を採用し、中世全体社会が呪術社会(公家こうけ=六勝寺、
武家=禅律僧)のなかでは、僧俗・聖俗の区別は相対的とする。そして死穢についても、亡魂や
墓所について、「ラフアンドタフ」であった、王権観念も消滅し、康平6年(1063年)
興福寺僧による
成務天皇陵盗掘や文永元年(1264年)における叡山傲訴での院御所放火を例に挙げ、方策祈願はあっても
鎮護国家なし(願文にだまされてはいけない)、境内
都市国家群の主人公である行人・遊行僧には、公家における家業、
武家における軍事・検断といった職能がない(
鎮護国家を意識しているのは、ほんの一部を占めるに過ぎない学侶のそのまた一部分)という、多元的価値の世界とする。◎論旨とは別に興味をもったのは、「観音現象(げんぞう)」という、「
応仁の乱のさなか、日本から八十人にもおよぶ有力者が臣下の礼をとって祝儀の使者を朝鮮国王に送った事件」である。
懐良親王と並び、朝鮮国王を日本の主権者と位置付けてもいい事件としている。寡聞にして知らなかった。『
国史大辞典』でも見当たらない。そうか、そんなことが。環
東シナ海の海民が勝手にやった、というわけでもないようだし(絶対関わっていると思うが)。