昭和天皇と立憲君主制の崩壊 伊藤之雄

昭和天皇と立憲君主制の崩壊―睦仁・嘉仁から裕仁へ―

昭和天皇と立憲君主制の崩壊―睦仁・嘉仁から裕仁へ―

昭和天皇が、まだ権威が確立されていなかったのに、明治天皇の「親政」を錯覚して田中義一を辞職に追い込んだことが、陸軍や国粋主義者の間で「君側の奸」に左右されやすい頼りない君主と見なされて正当性をゆるがせ(やり過ぎた)、今度は満州事変での朝鮮軍の越境をとがめることが出来ず(やらな過ぎ=「軍部」の誕生)、ロンドン軍縮条約では、加藤軍令部長の上奏を鈴木侍従長が阻止するという異例の事態を生んだ。イギリスの立憲君主制も、ときに調停的に介入すること、明治天皇の親政も、ある程度政治的に熟練してからでそれも調停的だったことと比較し、検討している。また、皇族を含め、平民的・健康的・科学的イメージの演出と、右翼からの批判が高まってからは軍服での登場が増えるなどの分析も興味深い。また、内閣と枢密院の力関係を、顧問官の選び方や叙位叙勲叙爵・宮中席次などから見ていく、という手法は、全ての人間にとっての最大の関心事が人事である、ということからは、新鮮だがむしろ極めて正統的な手法かもしれない。