内乱と民衆の世紀 永原慶二

南北朝から応仁の乱直前まで。絶え間ない内乱ではあったが、民衆の自立的な動きが高まりつつあった、という点に目配りしたと。年貢とは別に取引されるようになった加地子を得分とする加地子名主の成立・存在が国人と並んで土一揆の主体となっていく村の姿(一般の農民も、年貢が少なければ加地子を確保できるし)や、勝俣・笠松流の徳政令理解の根底である「本主」「地おこし」概念について、徳政一揆畿内先進地域で多く起こったことは、「このような観念が通用しにくくなってきたために」起きた。「加地子収取権のような権利が売買されるようにな」ると「買い手は永続的な権利を期待」するようになり、「永代売りの形が広まり」、「反面、本主的観念がくずれてゆく」。著者は、馬借一揆が山門の意向で動いたことを必ずしも否定的にとらえず、民衆の動きは、いつの時代も政治との関わりを免れないと、現実的かつ好意的である。