体験的本多勝一論 殿岡昭郎

かつて本多勝一ファンだったという著者が本多勝一の『ベトナムはどうなっているのか?』内での僧尼の集団自殺についての記事をめぐり批判したことに端を発した裁判。その経過を紹介する中で、取材の自由の無い共産圏での「ルポルタージュ」が事実上、政権のプロパガンダに過ぎないにもかかわらず、あたかも同質のルポであるかのように装って、当局に都合のよい、すなわち宗教弾圧への抗議ではなく男女間の乱れによる無理心中として日本の読者に伝えている(そして共産圏に取材の自由が無く同質たりえないことは、文末に一般論の形で述べられているだけだと)。
これはひどい。そして、裁判経過の中で、マン・ザック師に対する本多氏のとった態度は、まさに本文でも指摘しているように「酷薄」そのものだ。
奥平教授も最終的には原告側証人とならなかったようだが、なっていたらなんと証言するつもりだったのか。反論権(新聞に批判記事や広告が載ったら同じスペースで反論できる、という共産党がサンケイを相手どった裁判で主張したもの)に関することなのだろうか。