夢を操る 大泉実成

夢を操る―マレー・セノイ族に会いに行く (講談社文庫)

夢を操る―マレー・セノイ族に会いに行く (講談社文庫)

マレーの先住民族セノイ族が夢をコントロールし、実生活の平穏につなげているというパンフレットから、悪夢に悩む筆者の企画が始まる。「夢のコントロールなどありえない」というマレー人の学者、開発にさらされる豊かな自然の中で暮らすセノイ族自身からのコントロールを否定する言葉、そうしたなかで筆者は、「アニミズムのなかにこそ夢のコントロールがある」との仮説を立てる。そしてどうやら、セノイ族の世界では、強制ではなく夢の中の人物・動物の意思?を尊重しつつ、積極的に関わることを夢語りのなかでのやりとりで示唆しつつ、結果的にコントロール、という言葉でも表現しうることを行っている。そして夢のサインは集団共通のもの(飛行事故は雨の前兆)もあれば、個人的なもの(蛇の夢はある者には親族の死を告げる不吉なものだが、ある者には吉兆)もあり、夢と体験を積み重ねることによって個人の神話が創り上げられるのだ、という。