▽中世とはあくまで現代に生きる人間が古代と区別してつくった概念である。では、その中世に生きている人たちは、古代をどのように見ていたのか、その観点から
大嘗祭をどう位置付けるか。高御座は、
ニニギノミコトが
高天原で座っていたところで、高貴な「人」からニニギ=「神」となった
天皇がアマテラスと共食し真床覆衾にくるまることで降臨する、ということか。湯帷子は「天の羽衣」と呼ばれる。▽で、
後三条天皇から始まったとされる即位灌頂だが、なぜ
後三条か。
後三条といえば
摂関家との対立だが、即位灌頂には摂政が関わるから、単純に
摂関家の後ろ盾の有無とばかりは言えまい。即位灌頂という儀式には今まであまり興味・関心がなかったが、これはこれで複雑な背景がありそうだ。
北畠親房は神器を重視し(いわゆる「中世
日本紀」というやつだろう)、
践祚すれば
大嘗祭にこだわらなかったようだが(そう言えば、
大嘗祭をしない
天皇は
半帝と呼ばれたと
仲恭天皇の例で言われるが、
南朝天皇ができたとは思えないが)、即位灌頂にはこだわっている。皇統の争いと法統の争いが絡んでいる。歌道もそうだったが、いろんな争いが皇統と結びついている。