重光葵と戦後政治 武田知己

重光葵と戦後政治

重光葵と戦後政治

要するに重光は戦前も戦中も戦後も、アメリカとの協調の一方で中国との連携を重視する自主路線で一貫し、外務省による外交一元化の追求という姿勢も変わらなかったが、戦前は天皇のもと外交大権という形で理論上は可能で、小磯内閣期など実現に近づいた時期もあったが、戦後は政党という多数の原理に疎く、吉田や岸に翻弄された、ということらしい。かなり贔屓の引き倒し的に感じたのだが。