天下之記者 高島俊男

断続的に読んだ。なぜこんな無名の男の脱落していく人生が読み継ぐだけの魅力があったかというと、やはり、全国で47人(静岡に移った明治18年当時)しかいなかった文学士という超エリートでありながら、おそらく中央で活躍した同期に比し、いちばん脂の乗った時期を文化的に大きく遅れた地方で過ごした(自分の意思だが)ことで、著しく見劣りしたことが生来の取り繕う性格に影響して磊落を装い、代議士になりたくて中途半端にうろうろし、まさに「人生につまずいた秀才にありがちな」ところにあるのだろう。冗長と言われる山田一郎にあわせて、冗長に書いてみた。