院政期の内裏・大内裏と院御所 高橋昌明・編

院政期の内裏・大内裏と院御所 (平安京・京都研究叢書)

院政期の内裏・大内裏と院御所 (平安京・京都研究叢書)

▽御所の瓦は造営を担当した知行国主が国衙系の瓦屋を有していればそれを使うしなければ交易で入手した。▽信西の保元の大内裏造営は、二条天皇即位のための大極殿・朝堂院正面の荘厳が目的であった。▽大内裏は太郎焼亡の後も、太政官庁・神祇官庁・真言院・朱雀門は修造・再建に努められた。中世の太政官庁は、八省院で行われていた儀式・行事を行う八省院の代替物として機能していた。「規模は小でも、正庁・東西庁が廻廊で結ばれる殿舎の配置が、大極殿・青龍・白虎両楼のそれに似ている。即位儀の時は、ここに小安殿にあたる後房を仮造し、南門を会昌門に見立てて民部省に移建し、スペースを確保すればよい」。そこで即位した後三条が吉例として意識されていた。中世的王家の創始者であり、即位潅頂をはじめて行った天皇なのだ、後三条は。「空虚、漠々たる空間のただ中に孤立して建つ庁舎、あるいは廃絶した門前でくり返されるこれら儀式は、奇妙でこっけいですらあ」り、「質素を通り越して凋落の感を免れない」が、だからこそ「この空間の放つ呪力の強さ、中世人の思考を縛ってやまなかった力の大きさというものが、ひしひしと伝わってくる」。その他、閑院内裏の構造や、六波羅法住寺殿、鳥羽・白河などの発掘調査などから見た都市論など。