女帝と道鏡 北山茂夫

女帝と道鏡  天平末葉の政治と文化 (講談社学術文庫)

女帝と道鏡 天平末葉の政治と文化 (講談社学術文庫)

「女帝と道鏡の短い執政時代は…天平内乱期が生み出した特異な政治的形姿にほかならず、…いわば聖武以来の専制のあだ花であった」。天武嫡系を誇る意識が強かった女帝にとって、中途半端な皇胤よりも、仏教界での王である法王・道鏡に譲位するほうが、「三宝の奴」聖武天皇の影響が大きかったこともあり、抵抗がなかったのかもしれない。和気王事件や氷上志計麻呂事件もあり、後継問題を早く決めなければならないという焦りに、大仏建立以来、中央に取り入り利用するのに長けている宇佐八幡の神職や巫女たちが付け込んだ、というのが神託事件であろう。したたかである。八幡大神の神託は「まま子あつかいされてきた西辺の土豪の根性が強い…王権に対する素気ない価値観…地下にたくわえた泉が、時をえて噴きあげたものである」とする。