「女帝と
道鏡の短い執政時代は…
天平内乱期が生み出した特異な政治的形姿にほかならず、…いわば
聖武以来の
専制のあだ花であった」。天武
嫡系を誇る意識が強かった女帝にとって、中途半端な皇胤よりも、仏教界での王である法王・
道鏡に譲位するほうが、「
三宝の奴」
聖武天皇の影響が大きかったこともあり、抵抗がなかったのかもしれない。和気王事件や氷上志計麻呂事件もあり、後継問題を早く決めなければならないという焦りに、大仏建立以来、中央に取り入り利用するのに長けている宇佐八幡の
神職や巫女たちが付け込んだ、というのが神託事件であろう。したたかである。
八幡大神の神託は「まま子あつかいされてきた西辺の
土豪の根性が強い…王権に対する素気ない価値観…地下にたくわえた泉が、時をえて噴きあげたものである」とする。