「生きて虜囚の辱めを受けず」の日本軍は、捕虜となった時、何をどこまでしゃべっていいかという教育を全くしていなかった。捕虜となった方も、どうせ死んだ身、日本へ帰れないとなると、積極的にしゃべるようになる。それは軍需工場への精密爆撃を米軍に可能とさせた。また軍国日本を民主的な平和国家へ生まれ変わらせようという
アメリカ側の巧みな誘導もあったろう。戦局が不利になる中、日本という国家への信頼が薄らぐともろくなる人間。そして、最終章「それからの太平洋戦争」で記された、戦争末期、看守に「反抗」して至近距離から一発ずつの銃弾で殺された3人の捕虜をめぐる厚生省と
アメリカ陸軍の
官僚主義とそれを打ち破った日米双方の市民の動きを興味深く読んだ。