明治維新と横浜居留地 石塚裕道

明治維新と横浜居留地―英仏駐屯軍をめぐる国際関係

明治維新と横浜居留地―英仏駐屯軍をめぐる国際関係

居留地は植民地とは異なるが、軍隊が駐屯し、その軍隊は居留地を守るだけでなく鹿児島や下関まで戦争に駆り出されていく。その軍事的プレゼンスを記している。たしかに、英仏は幕末期に佐幕倒幕両派に武器を援助するというイメージだったが(あるいは「死の商人」を通じて)、それも駐屯している軍隊あればこそだったろうし、植民地化の危機からすると、1860年代後半はかえって駐屯軍の数は減っていたという指摘も興味深い。また軍隊を駐屯させていなかったプロシア(後に北ドイツ連邦)の公使が、北海道に5000人の兵士派遣をビスマルクに進言していることやその関連としてガルトネル事件やスネルの動きなどの叙述は、刺激的だった。ガルトネルはハンザ同盟都市出身で東方植民のイメージを北海道に持っていた、というのは。